「伊能忠敬は日本全国を歩いて地図を作った」と聞いたことがある人も多いのではないでしょうか。
実はこれは単なる昔話ではなく、伊能忠敬は江戸時代に実際に日本各地を測量して地図を作りました。
しかも、全国測量を始めたのは55歳のときです。
忠敬はもともと商人として成功した人物でしたが、50歳で家督を息子に譲った後、江戸へ出て本格的に天文学や測量を学びました。
そして1800年、55歳のときに幕府の許可を得て、北海道の測量を開始します。
その後も東北や関東、中部、近畿、中国、四国、九州などを10回に分けて測量し、日本各地を実際に歩いて調査しました。
ただし、「伊能忠敬が一人で日本中を歩いた」というわけではありません。
測量には弟子や幕府の役人なども同行しており、複数人のチームで作業を進めていました。
それでも、当時は現在のようなGPSや正確な地図がありません。
そこで、歩いた距離を測ったり、天体を観測したりしながら、各地の位置関係を詳しく調べていきました。
こうして全国を測量した距離は非常に長く、地球一周を超えるほどだったとされています。
さらに驚くのは、忠敬がこの大事業を始めた年齢です。
現在の感覚で考えても55歳から日本全国を歩いて測量するのは大変ですが、江戸時代の移動手段や道路事情を考えると、さらに過酷な旅だったことが想像できます。
忠敬は1818年に73歳で亡くなりましたが、日本地図はその後も弟子たちによって作業が続けられ、1821年に「大日本沿海輿地全図」として完成しました。
つまり、私たちが「伊能忠敬の地図」と呼んでいるものは、忠敬本人だけでなく、長年一緒に測量した仲間や弟子たちの努力によって完成したものなのです。
伊能忠敬のすごさは、日本全国を歩いて測量したことだけではありません。
50歳を過ぎてから本格的に学問を始め、55歳から全国測量という大きな仕事に挑戦したことも、注目すべきポイントです。
「もう遅い」と年齢を理由に諦めるのではなく、新しいことを学び続け、その知識を大きな成果につなげた伊能忠敬の人生は、現代の私たちにも多くのことを教えてくれますね。