歴史分野の有名な、本能寺の変から、
豊臣氏滅亡=元和偃武(げんなえんぶ)までを、
なるほど!と思う発見をしながら、天下人の視点で考えてみたいと思います。
まず、1582年6月2日未明に、部下の明智光秀が、
主君の織田信長を滅ぼした「本能寺の変」がありました。
「3日天下」と言われる言葉は、実は間違いです。
最新の研究では、本能寺の変のあと11日間の日数があり、
明智光秀は、羽柴秀吉に山崎の戦い(1582年6月13日)で滅ぼされます。
ですから、明智光秀は、11日間の天下でした。
その後、羽柴秀吉は「豊臣秀吉」と改名し、
1590年小田原攻めで北条氏直を滅ぼし、天下統一しましたね。
しかし、1598年に豊臣秀吉は病死したため、
秀吉といえども、わずか8年の天下でした。
そして1600年の関ヶ原の戦いを経て、1603年に徳川家康は征夷大将軍となり
江戸幕府を開くものの、広大な大坂城には依然として、
秀吉の息子の豊臣秀頼がいました。
徳川家康は、1614年の大坂冬の陣、1615年の大坂夏の陣にて、豊臣氏を滅ぼしました。
これでやっと、260年間に渡って続く平和な江戸時代になりました。
この、泰平の世になったことを、
元和偃武(げんなえんぶ)
と言うのです。
一番得をした人は、なんと言っても、徳川家康ですね。