日本と朝鮮との関わりについて。
中国が「明」の時代に、日本は豊臣秀吉が「李朝朝鮮」を2回にわたり攻めます。
朝鮮出兵です。
朝鮮を攻めたというよりも、明国を征服する目的で、
朝鮮からスタートして攻めて行った戦いです。
1回目の1592年は、「文禄の役」と習いますね。
これは、朝鮮(韓国)の教科書には、壬辰倭乱(じんしんわらん)と書かれています。
つまり、朝鮮が壬辰という時代に、倭(日本)が反乱を起こしにやってきた
と理解されています。
そして、2回目の1597年の「慶長の役」は、
朝鮮(韓国)では、丁酉倭乱(ていゆうわらん)と書かれています。
つまり、朝鮮が丁酉という時代に、倭(日本)がまたまた反乱を起こしにやってきた、という意味です。
相手の国は、このように思っているのです。
ちなみに、明国はこの後、
1631年
崇禎帝(すうていてい)を経て、
1644年
明滅亡
そして、
1644年
順治帝(じゅんちてい)が清国を成立させます。