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家庭教師のマナベスト 奈良県 スタッフブログ

【歴史】解いてみよう!
歴史の政治体制

2021/12/04

高校日本史の全国模試に出題された問題。



鎌倉時代初期、1199年、源頼朝は落馬が原因で亡くなりました。

長男の頼家は、自分が認める一部の部下だけによる独裁政治をしたために、

北条時政、義時親子ら有力御家人によって、伊豆の修善寺に幽閉され殺害されました。



次男の実朝は、頼家の子、鶴岡八幡宮別当(宮司)の公暁(くぎょう)に暗殺されました。


こうして、源氏の嫡流が3代で途絶えた後、摂家将軍、皇族将軍というお飾りの将軍を京都から迎え、

幕府の実権は北条氏が握り、時政、義時、泰時・・・による執権政治になりました。



2代執権の北条義時は、幼名を「徳宗(とくそう)」と言いました。

彼は、自分の血を引く北条家の嫡流を、自分の幼名を取り「得宗」と名づけました。

この時から、同じ北条氏でも、嫡流は得宗家と呼ばれました。

9代執権の得宗家、北条貞時は、執権に北条氏の分家を据え、お飾りにして、得宗専制政治をスタートしました。



さて、

この得宗専制政治と、日本史上で、ほぼ同じ政治体制は何か、答えなさい。




「歴史は繰り返す」とは、よく言ったものですね。

それは、江戸時代に2回あります。

1回目は、2代将軍徳川秀忠の父の家康と、12代将軍家慶の父の家斉が行った

大御所政治です。

歴史的に、

得宗専制政治(鎌倉時代後期)=大御所政治(江戸時代)

なのです。