1853年のペリー来航にて、
日米和親条約が結ばれます。
テストに地図も出ますから、場所も確認しておきましょう。
下田(伊豆半島南端)と函館(北海道南端)の2つの港を開港
と覚えておいてください。
このあと欧米列強諸国は、ここぞとばかりに日本に開国を迫り
日露和親条約など、同じような条約を列強諸国と結ばされます。
この瞬間に、3代将軍 徳川家光から続いた、
いわゆる「鎖国体制」は終わり、日本は開国しました。
すると、外国人がたくさん日本に入ってきますね。
当時の人々は、異人(私たちと異なる人)と呼び、異人をなかなか受け入れることができませんでした。
長い間、日本人だけで生きてきたこの日本に、
身なりが全く違う人が入るのに、かなりの抵抗があったからなのです。
そこで、はじめのうちは外国人に拒否反応を示し、
攘夷論(じょういろん)が大勢を占め、外国人を排除しようとする動きになったのです。