10世紀半ばから武士が成長していきました。
935年には関東地方で平将門が、939年に瀬戸内地方で藤原純友が反乱を起こしました。
また、11世紀後半に、東北地方の武士の対立から、前九年合戦・後三年合戦が起こりました。
その後、現在の岩手県である平泉を拠点にした奥州藤原氏が権力を持ちました。
このころ、源氏は東国に勢力をのばし、平氏は西国に勢力をのばしました。
朝廷では、1086年白河天皇が天皇の位を譲って、白河上皇となり、政治を行いました。
これが院政のはじまりとされています。
院政とは、上皇とよばれ、位を譲った天皇を中心となり政治を行うことをいいます。
藤原氏の摂関・関白の影響を受けずに政治を行い、子孫を確実に天皇にするために行われたことだと言われています。
武士はこの頃から、権力を握るようになり、朝廷にも影響を及ぼすような武士も台頭してきました。
1156年、上皇と天皇の対立に武士がまきこまれ戦った、保元の乱が起こりました。
平清盛と源頼朝(よしとも)が味方した天皇側が勝利し、2人は政界に進出するようになります。
その後、1159年、朝廷内の対立と、平清盛と源頼朝の勢力争いにより平治の乱が起こります。
平清盛が勝利し、平氏の中央政権の地位が固まりました。
平治の乱で権力を確実なものにした平清盛は、1167年に武士で初めて太政大臣(だじょうだいじん)となり、実権をにぎりました。
平清盛は、現在の神戸港にあたる港を整備し、宋と貿易を行いました。これを日宋貿易と言います。
これまでは、天皇が権力を持っていましたが、武士の力が強まり、影響を恐れた白河天皇は上皇となって天皇の地位を守ろうとしました。
しかし、そのことで、上皇と天皇の対立が生まれ、それぞれの味方についた武士が争いに巻き込まれました。
その結果、武士の権力がますます強まることになり、平清盛が初めて太政大臣として政治に介入した時代となります。