日本は江戸時代から、寺子屋などが普及しており、読み書きができる者が多く、識字率が高いと言われていました。
「読み書きそろばん」という言葉があるように、最低限の文字の読み書きと、計算は多くの人ができるようになっていきました。
しかし、身分によって、または、地域によって学問を受けられない子どもも多くいました。
明治政府は、欧米諸国で始まっていた「義務教育制度」を導入し、国民全員が学ぶことを義務付けることにしました。
1872年、明治政府は「学制」を公布し、小学校を義務教育機関として定めました。
日本各地で、江戸時代から続く寺子屋を引き継ぐ形で、数年の間に26000校もの小学校がつくられました。
しかし、当時は子どもが家庭の中でも貴重な労働力であったため、小学校に通える子どもが多くなく、授業料も必要だったこともあり、就学率は30%程度でした。
特に女子は、早婚であったり、家事育児の手伝いがあったり、学問の必要性を理解されなかったりなどの事情があり、対象者の20%未満しか就学できていませんでした。
しかし、政府のすすめや、国民の学問への関心が高まっていったことで、1895年には男子は約80%、女子は約40%が小学校へ通うようになりました。
時代とともに徐々に就学率は上がり続け、明治時代の終わりごろである1910年にはついに100%近い就学率となりました。
現在では、小学校6年間と中学校3年間が義務教育として位置づけられていますが、明治時代に小学校の就学率が100%になるまでには30年ほど時間がかかったのですね。
また、最初は小学校が6年制ではなく、4年制だったようです。
時が経つとともに、学問の必要性がますます高まり、現在と同じ6年間学ぶということが義務付けられたのです。
学問が子どもたち全員にとって必要だということは昔から考えられていたことなのですね。