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家庭教師のマナベスト 新潟県 スタッフブログ

【世界史】
鉄砲とキリスト教の伝来

2026/02/17

1543年、ポルトガル人を乗せた中国船が鹿児島県の種子島に流れ着きました。
このとき、船に乗っていたポルトガル人から鉄砲が日本人に伝えられました。
鉄砲は戦国大名たちに注目され、大阪府堺市や滋賀県の国友地域で、鉄砲を生産するようになりました。
このように鉄砲が普及した日本では、戦い方が変わりました。
そのため、戦術の技術や鉄砲の襲撃から城を守るための築城の技術が向上しました。


1594年、イエズス会の宣教師であるフランシスコ・ザビエルが鹿児島に上陸しました。
ザビエルはイエズス会の創業者の1人です。
カトリック教会の勢力の回復のために、アジアの各地で布教活動を行っていました。
こうして、ザビエルによって日本にキリスト教が伝えられました。
ザビエルは2年余り日本に滞在し、山口、京都、大分県などで布教活動を行った記録があります。

ザビエルが日本から去ってからも、貿易船に乗ってきた宣教師たちが布教に努め、西日本を中心にキリスト教の信者が増えました。
この頃のキリスト教の信者はキリシタンと呼ばれていました。

中には、貿易の利益を期待してキリスト教の信者になるキリシタン大名も現れました。
1582年、九州の大村氏、大友氏、有馬氏の3大名は4人の少年を天正遣欧使節として、スペイン国王とローマ教皇のもとへ派遣しました。

宣教師たちは、布教のかたわら、各地に教会や学校、さらに病院、孤児院などを建設する慈善事業も行っていました。
このため、キリスト教は民衆の間にも広まり、17世紀初めには日本に30万人以上の信者がいたと言われています。

このように、日本に鉄砲やキリスト教が海外からもたらされました。
現在では鉄砲の所有は法律で禁止されていますが、当時の日本にとって鉄砲は画期的な武器だったに違いありません。

また、キリスト教という新しい教えに人々が衝撃を受け、信者が増えたのも想像がつきますね。