学校の先生が
「こんなことも真面目にできないんじゃ社会に出てやっていけないぞ!」
と指導するのを聞いたことがありませんか?
学校の先生というのは、生徒の皆さんに勉強を分かってもらうことが仕事です。
そのために授業をよそ見している生徒が居ないか目を光らせたり、宿題の提出状況を管理したりします。
それでも真面目にやってこない生徒に対しては上のようなことも言います。
皆さんの中にも実際に似たようなことを言われて
「そうなのかも…」と思ったことがある方もいるのではないでしょうか。
では本当にそうなのかというと、疑問が残るところです。
そもそも、社会に出る=仕事は、勉強の出来だけがものをいう世界ではありません。
体力のある人、口が立つ人、人に好かれる人、などなど
勉強以外にも大事な要素はたくさんあります。
もちろん、これらの要素のすべてある種の【真面目さ】に通ずるところがあります。
そして、学校の先生は勉強の経験を通して【真面目】に取り組む力を付けられると思って
指導するのでしょう。
しかし、重要なことに、同じ量の勉強をするのにかかるストレスの量というのは各個人で違います。
勉強が好きで得意なAさんはそれほどストレスもかからずあっという間に宿題を終わらせらせます。
一方、苦手で嫌いなBさんは大きなストレスを抱きつつ長時間向き合う必要があるでしょう。
つまり、もともと勉強が好きで得意な人ほど、学校においては簡単に真面目に見えるのです。
逆に、苦手で嫌いなBさんのような人が、Aさんと同じくらい真面目だと評価されるには、大きな労力がかかります。
いま学校では勉強を主に学ぶものとされていますが、
もしかしたらAさんとBさんに、勉強以外の課題(例えば運動や会話や社交)を出していたら、
【真面目】と評価される方は変わっていたかもしれません。
「こんなこともできないんじゃ…」と言うような“勉強”と“人柄”を結び付けるような指導は、
子どもをグレさせるきっかけになってしまうのではないかと思います。
「クラスで一番勉強できない…。先生の言うとおり自分は社会でやっていけないのかも…」
そう思っても仕方ありません。
そしてそう思うほど、勉強から気持ちが離れ、やがて完全に諦めてしまいます。
生活全体が堕落したり、悪い道に心が向いてしまう子も出てくるでしょう。
そうなると、勉強以外に持っていた貴重な長所も失ってしまいます。
ではそうなる前に、最初から勉強を諦めてしまえばいいかというとそうとも言えません。
学校、特に義務教育で習うことというのは、実際とても役に立つし重要なものです。
また、周りがそれに取り組んでいるなか一人だけ全く辞めてしまうと、
周りとの摩擦も生まれてしまうでしょう。
みんなと同じ勉強に取り組むことで、周囲との連帯感や自己肯定感の向上も期待できます。
せっかく学校に通うことになっている年齢なら、すっかり諦めてしまうのではなく、
自分の能力の範囲で、それなりに取り組んだほうが良いと思います。
ただ、このときもし周りよりも出来が悪いことがあっても、
「勉強と人柄を結び付けて考えなくてもいい」ということだけ、覚えておいてほしいんです。
通信簿やテスト結果などだけではなく、その中で少なからず学んだことや取り組んだ経験、
また、自分の勉強以外の長所などにも目を向けて、
ポジティブな気持ちで学校生活を送れることを願っています♪