「能力主義」という考え方があります。
これは、「能力の査定結果を人物評価の基準とし、待遇として反映する主義(wikipediaより)」、
すごく簡単に言うと、「人を能力で判断する」ということです。
たとえば入試などはほとんどそうですね。テストを解く能力の多寡で合否のほとんどが決まります。
また、就職活動に関しても、学歴や職歴など、能力を表す経歴が採用基準において非常に重視されます。
こうして聞くと、「そんなの当り前じゃない?」と思う方もいるかもしれません。
誰だって難しくて責任のある仕事(例えば医師やパイロット)は、
その能力がある人に就いてほしいですよね。
この点で、能力主義は社会が営まれるうえで当たり前のものでもあります。
一方で、「能力主義」と対比しやすい考え方に「世襲」があります。
これは、「親が○○だから」や「家柄が~だから」という理由で
地位を得たり役職を得たりするものです。
貴族などの身分制度が無くなった現在でも、その業界の有名人の子息が
他の人より有利な条件で出てきたりするのを見ることがありますね。
さて、学校で勉強をしている皆さんにとっても「能力主義」らしきものは身近なのではないでしょうか。
「勉強ができる=偉い」という感覚です。
勉強ができるといろんな人が褒めてくれます。
才能を褒められたり、努力を誉められたり、工夫を褒められたり…
勉強が「良いもの」と思っている大人は、この子は良いことをして【偉い】と思い、
勉強が「難しくて面倒なもの」と思っている大人は、それを頑張ることが出来て【偉い】と思います。
子供はテストが帰ってくるたびに褒められ、自分の明るい将来が約束されたように思います。
さて、一方で勉強ができない子はどうでしょう。
勉強に興味が無くてしたくない子、やろうと思っても出来ない子。やっても出来ない子。
これらの子は、勉強というものが大きく幅を利かせている学校という場所では
テストが帰ってくるたびに肩身の狭い思いをします。
(もしその子に他に優れている部分があってもです。)
人それぞれ向き不向きがあるのは当たり前のことです。
その中でそれぞれが自分の長所や興味を活かして活躍できる・没頭できる、
そしてお互いがお互いを尊敬したり認めたりできるのが理想です。
仲のいい友人同士などの個人間では、そういった関係は多く見られるでしょう。
ただ、勉強という大きな縦軸が幅を利かせる学校という場所全体では、
勉強の出来る子の鼻が伸びたり、出来ない子が卑屈になったりグレたりすることもあります。
これでは出来る子と出来ない子の間で軋轢が生まれたり、クラスの和が乱れたりもしてしまいますね。
『ハーバード白熱教室』や『これから正義の話をしよう』で知られる哲学者マイケル・サンデル教授には
能力主義を扱った著書『実力も運のうち 能力主義は正義か?』があります。
ことわざの「運も実力のうち」ではなく、ひっくり返して「実力も運のうち」です。
サンデル教授は能力主義が生まれるメカニズムや社会背景を負いながら、
いわゆる社会的“勝者”と“敗者”の間で生まれる格差と、両者のうちに生まれる心理とを明らかにします。
ここでは“自己責任”という言葉が強調されます。
「世襲」などではなく能力を大きな基準として人物を評価する社会では、
“勝者”は、
「自分の成功はすべて努力の成果であり、自分はそれによって得られる対価や尊敬に値する人間だ」
と強く信じます。
そして、逆に“敗者”に対しては、
社会全体として「貧困などの不利益は、当人の努力不足。つまり自己責任だ」
という空気が広がってしまいます。
これでは一般的な意味での“勝者”に含まれない人は、生きづらい思いをしますし、権利を侵害されかねません。
サンデル教授はこのような現状に関して、“運”の要素を強調すべきだと主張します。
たとえば、ある人がどの地域に、どの家で生まれるかは、本人にとっては完全に運ですね。
生まれた後に「都会で生まれたかった」「別の家で生まれたかった」と言ってもどうしようもありません。
一方で、それらの「生まれ」の違いは、学力などの能力が発達の過程でどう伸びるかに少なからず関係してきます。
都会で塾の選択肢が多かったり、情報に触れやすかったり、教育費を多くかけてもらった子は
そうでない子に比べて、有利であることは間違いありません。
もちろん、日本の受験・勉強は公平です。どこで生まれたから+1点、というようなことはありません。
つまり、努力次第で生まれからついた差をひっくりかえせる可能性だってあります。
ただ、サンデル教授は努力できるかどうかについても、
「努力しようという意欲の有無も才能・環境によって左右される」
「努力ができる、努力が報われる時代・地域・家に生まれた幸運を忘れてはいけない」
と言います。
要するに、すべてが運で決まるわけではなく、本人が努力で得た実力や成果も
運によってもたらされた部分があるということです。
まさに『実力も運のうち』です。
すべてが努力で決まるわけではない。すべてが運で決まるわけでもない。
ただ、いくらか自分が成功していたとしても、それには運の要素があり、
謙虚でいることが必要。サンデル教授はそう主張しました。
勉強ができることは確かに一つの基準では偉いことでしょう。
ただ、それは本人の努力だけで決まったことではありません。
また、ものさしは一つではありません。
学校では勉強が重視されたとしても、それぞれの人にはそれ以外の長所や特徴があるはずです。
それぞれを認めつつ、自分の優れたところについては
「これは自分の努力だけでない。運に恵まれた面もある」と謙虚に思うことが出来れば、
それぞれの良い所を活かしつつ、調和のとれた人間関係に近づくのではないかと思います。
勉強に関して悩みを持っている生徒さんは多くいると思います。
「自分にとって“勉強”が何なのかわからない…」「テスト順位でいろんなことが決まるのがモヤモヤする…」
という方は、参考にして考えてみてくださいね。