1192年、源頼朝は、朝廷から正二位、右大臣、征夷大将軍
に任ぜられて、鎌倉幕府を開いた
とは、小学6年生以上のみなさんならよく知っていることですね。
では、源頼朝が実際にやったことや、彼の功績については?
と、みなさん、なかなか言えないですね。なぜでしょうか?
彼は、1192年に征夷大将軍に就いたあと、鎌倉幕府の政治機構を整備している最中、
わずか7年後の1199年に、落馬が原因の大怪我で亡くなってしまうからです。
彼の功績と言えば、
1185年
右近衛大将に就任
後白河法皇の許可を得て、全国に
守護と地頭を設置
したことでしょう。
この理由は、"源義経を追討するため"と後白河法皇に報告しています。
そもそも源義経は、その当時、所在なんてわかっていて、
奥州藤原氏3代の陸奥・出羽押領使、藤原秀衡にかくまわれていましたね。
つまりは、源頼朝が全国支配をするための口実です。
初めての武家政権を築いた源頼朝なのに、歴史上でイマイチ評価が低いですね。
その原因は、なんと!
源頼朝は、浮気ばかりしていて、プライベートがだらしなかったことも一因だからなのです。