1720年、徳川吉宗が実施した洋学奨励政策「漢訳洋書輸入の禁の緩和」。
江戸時代は、中国(清王朝)とオランダの2ヵ国とだけ貿易をしていました。
もちろん、琉球からも薩摩の島津氏を通して、さらに、アイヌからも函館の松前藩を通して貿易はありましたが、
中国とオランダが盛んでした。
ヨーロッパの文化や医術などはオランダから入りますが、オランダ語や英語のままでは誰もわかりません。
そのため一旦、中国語(漢文)に変換して日本に入ってきました。
しかし、江戸時代はキリスト教禁止令でしたね。
幕府が検査の上、キリスト教に一切関係のないものを日本に入れてしまったので、
入ってくる書物は非常に少なかったのです。
これだと農業や医学はなかなか発展しませんね。
そこで、徳川吉宗は、
日本人にわかるように外国語を漢文に直した=漢訳洋書
を、農業や医学などに限ってキリスト教に注意しながら、
もう少し多く日本に入るように規制を緩和した=禁の緩和
をしたのです。
その結果、ターヘルアナトミア(解体新書)ができ、医学が発展したのです。