鎌倉幕府滅亡から建武の新政までのまとめです。
テストによく出るところなのでチェックしておきましょう。
1333年
鎌倉幕府滅亡
高校の日本史のテストに出ます。
【滅亡の原因】
1.元寇(蒙古襲来)により、国土を守っただけだったため、恩賞がもらえず、御家人の生活が苦しくなった。
2.9代執権の北条貞時!から、「得宗専制政治!」をして、北条一門が役職や領地を独占したため、御家人が不満を持った。
3.再度の蒙古襲来に備えるための御家人の負担(幕府から、「異国警固番役!」を命じられた)が大きかった。
御家人の足利尊氏は、六波羅探題を陥落させた。
新田義貞は、鎌倉幕府本体を陥落させた。
幕府側
17代執権の北条(赤橋)守時、得宗は北条高時
滅亡後
後醍醐天皇が、建武の新政
※「親政」は×です。間違える人が多いので、気をつけましょう。
公家に厚く、武家に冷たい政治だったため、武士の反対でわずか2年で失敗。
後醍醐天皇は、吉野に逃れる。
───南北朝時代のはじまりです。