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家庭教師のマナベスト 長野県 スタッフブログ

【歴史】まとめ
鎌倉幕府滅亡から建武の新政

2022/02/04

鎌倉幕府滅亡から建武の新政までのまとめです。

テストによく出るところなのでチェックしておきましょう。

1333年
鎌倉幕府滅亡

高校の日本史のテストに出ます。

【滅亡の原因】

1.元寇(蒙古襲来)により、国土を守っただけだったため、恩賞がもらえず、御家人の生活が苦しくなった。

2.9代執権の北条貞時!から、「得宗専制政治!」をして、北条一門が役職や領地を独占したため、御家人が不満を持った。

3.再度の蒙古襲来に備えるための御家人の負担(幕府から、「異国警固番役!」を命じられた)が大きかった。


御家人の足利尊氏は、六波羅探題を陥落させた。

新田義貞は、鎌倉幕府本体を陥落させた。

幕府側
17代執権の北条(赤橋)守時、得宗は北条高時

滅亡後
後醍醐天皇が、建武の新政

※「親政」は×です。間違える人が多いので、気をつけましょう。

公家に厚く、武家に冷たい政治だったため、武士の反対でわずか2年で失敗。

後醍醐天皇は、吉野に逃れる。


───南北朝時代のはじまりです。