コストパフォーマンスという言葉を聞いたことがあるかと思います。
もともとはビジネスなどで使われる用語で
「コスト(cost)あたりのパフォーマンス(成果)」
=つまり、より少ない支出で、多くの成果を生むような投資のことです。
そこから転じて、昨今では日常生活でも「コスパ」という言葉が使われるようになりました。
たとえば、家電量販店で
「このパソコンは高価だけど、その性能を考えると、絶対にコスパが良いと思うよ。」
というように言ったりします。
また、金銭的なコストだけでなく、かかった努力や労力にも使われるようになりました。
「このテストにはあまりに難しすぎる問題も含まれるから、満点を狙って勉強するのはコスパが悪い」
というふうにです。
また、昨今よく聞く主張として、
「勉強」自体のコスパについてのものがあります。
たとえば、みなさんが100時間の使いかたを考えるとして、
時給が1000円のアルバイトで100時間を使うとすると、
1000×100 = 10万円 稼ぐことが出来ます。
一方、100時間を勉強に費やしたとしても、手元に金銭は残りません。
つまり、この時点では勉強のコスパは良くないことになりす。
ただ、勉強を頑張った結果、いい大学に入れたり資格を取れたりして
時給が1000円よりずっと高い仕事に就けるようになった場合はどうでしょう。
時給が2000円なら10万円を50時間で稼げるようになるし、3000円なら33時間で稼げるようになります。
こうした先のことまで考えると、勉強はとても【コスパが良い】行為ということになりますね。
☆ ☆ ☆
ところで、生きているとコスパだけでは割り切れないこともありますね。
人間は、効率を良くするためだけに生きているわけではありません。
「人間」と一言に言っても、個性も環境もバラバラです。
お金が好きな人もいれば、のんびりするのが好きな人もいます。他人に理解されない楽しみもあります。
個人がその人の基準でパフォーマンスを追い求め、そのコストを支払うのは結構ですが、
社会にとってのパフォーマンスと、そのためのコストとなると難しい話です。
だれかが得をする世の中は、誰がが損をする世の中かもしれませんし
すべての人が全く同じだけの富を得る世の中は
能力や個性が発揮されなかったり、うまく回らなかったりするかもしれません。
社会・人類はどう進んでいくべきか。これは、つまるところ【答えのない問い】でしょう。
だからこそ、誰も他人に「こういう風に生きるのが正しい!」とは断言できないし、
各人が自由をもって自分の人生を選択できるべきです。
ただ、一方で「自由」と言われると困ってしまうもので、
特に若いうちは、自分が何をすべきか、また、自分はなんのために○○をすべきか、
分からないし、悩まされます。
みなさんも「自分は何のために勉強するんだろう…」と悩んだことがあるのではないでしょうか。
歴史上の多くの人が、このような問題について考えてきました。
そして、その形跡として学問や文化がある、という面もあります。
みなさんは学校の勉強を通して、その形跡の一部をなぞっています。
勉強はたしかに分かりやすく“コスパ”がいい行為です。
ですが、パッと見で分かるくらいの“コスパ思考”から抜け出し、
自分特有の【基準】をもつための訓練にもなるかと思います。
少し長い話になりましたが、
・勉強は将来にわたってのコスパがいい
・勉強は安易なコスパ思考から抜け出すための訓練になる
というお話しでした。
みなさんも“コスパ”について考えてみてくださいね♪