1635年、参勤交代を制度化した武家諸法度寛永令のあと
わずか2年後の1637年、3代将軍徳川家光の時、
有名な「島原天草一揆」
リーダーは、「天草四郎時貞」
(益田四郎時貞)
※どちらでもOKです。これは、江戸時代の認定されている古文書に、この二つの名前の記載があり、おそらく、もともと二つの名を名乗り、使い分けていたと考えられています。
「島原の乱」と書かれた教科書もあります。
この乱が起きた背景を説明しなさい。
という問題がよく出ます。
この乱は、キリスト教の弾圧によるものではありません。
解答は、
島原と天草を治める二人の領主が、キリスト教徒を含んだ農民に過酷な年貢を取り立ていたため、生活に苦しくなり、一揆が起きた。
です。
この地域に暮らす農民の中に、たまたまキリスト教徒がいた、
という状況です。
キリスト教禁止令はすでに出ていますから、全国で絵踏みなどの取り締まりは行われていました。
原因は、キリスト教ではなく、過酷な年貢の取り立てです。